がんばれ!三重県勢
こんにちは中小企業診断士の中山です。女子バレーボールのオリンピック最終予選で「火の鳥Nippon」がギリギリのところで五輪のキップを手にしました。タイと同じ勝敗数ながらセット率で上回るというまさに首の皮一枚の差でした。タイも近年力をつけていますね。
今回の最終予選はそれほど気にとめていませんでしたが、ひょんなことから平井香菜子選手が、私の郷里である三重県出身ということを知り、ロシア、シベリア戦をテレビ観戦しました。山口舞選出が三重県人ということは前から知っていました。さらに今回はベンチ入りしていませんでしたが、宮下遥選手も三重県出身です。セルビア戦で平井、山口の両選手がコートにたった時は、鳥肌が立ちました。6人中2人が三重県人なのですから。
1992年のNHK紅白歌合戦で、三重県鳥羽市出身の鳥羽一郎、山川豊、渡瀬マキ(リンドバーグ)が出場しました。当時、鳥羽市は人口3万人を切っており、3万人で3人紅白にでるのはすごい快挙と感動しました。それ以来の軽い興奮を覚えました。
三重県は学生、社会人ともバレーボールが強いという印象はありません。実業団チーム・カネボウの女子チームが鈴鹿市で活動していましたが、1992年廃部となっています。男子バレーではJTで活躍していた下村英士選手がオリンピック代表になった記憶くらいしかありません。二人の活躍は非常に喜ばしいことです。
平井、山口両選手にはロンドンオリンピックでも代表に選ばれて活躍してもらいたいものです。国民体育大会(国体)でもふるさと選手制度を利用して、三重県代表というわけにはいかないかな?ビーチバレーの浅尾美和選手も一時的にバレーに復帰して、ドリームチームということで。
同じく三重県出身の吉田沙保里選手(レスリング)の連勝がストップ。「また五輪の年に悪夢再び」などの報道がありました。負けてしまったものの、4年間負けないがないのですからすごいことです。
当ブログも2008年10月に開始しました。北京オリンピック閉幕直後です。ちょうどリーマン・ショック頃です。北京オリンピック後、リーマン・ショック、政権交代、欧州危機、東日本大震災といろいろとありました。北京オリンピックの頃は、スマートフォンもほとんど普及していませんでした。androidではなく、Windows MobileをOSとして採用した機種がいくつかある程度した。タブレットはありませんでしたよ。時間が経つのは早いですね。
今回の最終予選はそれほど気にとめていませんでしたが、ひょんなことから平井香菜子選手が、私の郷里である三重県出身ということを知り、ロシア、シベリア戦をテレビ観戦しました。山口舞選出が三重県人ということは前から知っていました。さらに今回はベンチ入りしていませんでしたが、宮下遥選手も三重県出身です。セルビア戦で平井、山口の両選手がコートにたった時は、鳥肌が立ちました。6人中2人が三重県人なのですから。
1992年のNHK紅白歌合戦で、三重県鳥羽市出身の鳥羽一郎、山川豊、渡瀬マキ(リンドバーグ)が出場しました。当時、鳥羽市は人口3万人を切っており、3万人で3人紅白にでるのはすごい快挙と感動しました。それ以来の軽い興奮を覚えました。
三重県は学生、社会人ともバレーボールが強いという印象はありません。実業団チーム・カネボウの女子チームが鈴鹿市で活動していましたが、1992年廃部となっています。男子バレーではJTで活躍していた下村英士選手がオリンピック代表になった記憶くらいしかありません。二人の活躍は非常に喜ばしいことです。
平井、山口両選手にはロンドンオリンピックでも代表に選ばれて活躍してもらいたいものです。国民体育大会(国体)でもふるさと選手制度を利用して、三重県代表というわけにはいかないかな?ビーチバレーの浅尾美和選手も一時的にバレーに復帰して、ドリームチームということで。
同じく三重県出身の吉田沙保里選手(レスリング)の連勝がストップ。「また五輪の年に悪夢再び」などの報道がありました。負けてしまったものの、4年間負けないがないのですからすごいことです。
当ブログも2008年10月に開始しました。北京オリンピック閉幕直後です。ちょうどリーマン・ショック頃です。北京オリンピック後、リーマン・ショック、政権交代、欧州危機、東日本大震災といろいろとありました。北京オリンピックの頃は、スマートフォンもほとんど普及していませんでした。androidではなく、Windows MobileをOSとして採用した機種がいくつかある程度した。タブレットはありませんでしたよ。時間が経つのは早いですね。
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